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長野地方裁判所上田支部 昭和47年(わ)148号 判決

主文

被告人は無罪

理由

一、本件公訴事実は

被告人は、自動車運転の業務に従事しているものであるが、昭和四七年六月一〇日午前九時五〇分ころ、大型貨物自動車を運転し、長野県小県郡東部町大字和一、四四八番地先の前方で右に曲る国道上を、上田市方面から小諸市方面に向かい、時速約五〇キロメートルで進行中、連続して対向車両があったので、左側に寄り、対向車両の進路・動静を注視して間隔に留意し、安全を確認して進行すべき業務上の注意義務があるのに、これを怠り、漫然進行した過失により、自車が右側にはみ出していることに気付かず、塩入幹夫(当二九年)運転の普通乗用自動車(軽四)とすれ違うあたり、衝突の危険を感じて、ハンドルを左に切ったさい同車に自車右側部を衝突させ、よって、同人に頭頸部外傷(脳挫傷)等、その同乗車塩入共子(当三〇年)、同塩入武良(当三年)に全治まで約八か月間、同塩入直美(当二年)に全治まで三三日間を要する頭部外傷等の傷害を負わせ、塩入幹夫をして、右傷害により、同日午前一〇時二九分ころ、上田市大字常入四三二番地小林外科病院において、死亡させたものである。

というのである。

しかし、被告人に右公訴事実(訴因)掲記のような過失があり、それが本件死亡事故の原因であることは、関係証拠上確認し難いと判断されるので被告人に対し刑訴法三三六条後段により無罪の言渡をすべきものである。以下その理由を若干説明する。

二、まず、次のような事実は関係証拠上明白であって何ら疑問の余地がなく、本件訴訟においても格別の争がないところである。

本件事故現場は公訴事実記載のとおり東部町大字和一四四八番地先の国道一八号線上で、北(被告車進行方向に向って左)側に「北京ラーメン」という食堂があり、南側はりんご畑となっている。同国道を上田市方面から小諸市方面に向って進む(被告車の進行方向である。)と、現場の手前でかなり顕著な上り勾配となり次いで勾配を減じてほとんど水平に近いゆるやかな上りとなり、現場の約一〇〇米(目測による概数である。)手前からは極くゆるやかな下り勾配となるとともに、ゆるやかに右にカーブし、北京ラーメンの前を過ぎてその斜め前の宮下ガラス店倉庫前附近からは再び直線となり、右倉庫に続く長野鉄鋼株式会社、レストランかのう別館前を経て成沢川の橋を過ぎたあたりから勾配を増し、信号機のある本海野交差点に向って下って行く。

現場附近の道路幅員は、舗装部分のみで概ね片側三・八ないし三・九メートルあり、その両側に三〇ないし五〇センチメートル幅の非舗装路肩部分があり、附近一帯は追越しのため右側はみ出し通行禁止の道路標示(黄色のセンターライン)がある。

被告人は大型貨物自動車(最大積載量七トン車長九・九二メートル車幅二・四九メートル、ホイルベース六・三メートル後輪はダブルタイヤ)を運転し、時速約五〇キロメートル(タコグラフチャートにより確認される。)で小諸方面に向かい、塩入幹夫は軽四輪乗用自動車(三菱ミニカ、車長三・〇メートル、車幅一・三メートル)を運転して上田方面に向かい、それぞれ本件現場にさしかかった際、前記北京ラーメン前附近において、被告車の右側面と塩入車の右前部とが衝突し、塩入車は大破し、その結果公訴事実記載のとおり塩入幹夫は死亡し、同乗の妻共子と二人の幼児がそれぞれ重傷を負ったのである。

三(一)、本件訴因においては、右衝突の原因は、被告人の右側はみ出し通行にあるとされているので、右はみ出しの事実の有無を検討するに、この点についての直接の証拠としては、與水秀己の当公判廷での証言があるだけである。右証言の要点は、「同証人が普通乗用車(クラウン)を運転して先行車(白いパブリカもしくはカローラ)の後に続いて本件事故現場にさしかかったところ、前方から大型貨物(被告車)がセンターラインをオーバーして状態で進行して来て、先々行車(塩入車)と接近したところで急に左にハンドルを切ったため、後部が右側にふれそこへ塩入車が衝突したのを目撃した。大型の方が一方的に悪いと感じた。」というのである。しかし、この証言は、以上に述べるような諸点を考えあわせると、その信用性に相当な疑問があるというべきである。

(二)、宮本勉ほか一名作成の昭和四七年六月一〇日付実況見分調書および弁護人提出の被告車の写真によると、被告車の荷台右側面の下(後輪よりも前)にあるサイドバンパー、サイドランプおよび右後輪の泥よけ前面に損傷があることが認められるので、塩入車は被告車の右側サイドバンパーに先づ接触し、荷台の下に斜めに突っ込む形となって右後輪に衝突したものであることが明僚である。被告車が左に急転把しても、それだけで後輪より前の部分が右に出ることはあり得ない(同時に急制動をすればタイヤの横滑りが起り得るが、本件では、そのような証拠は全くない。)のであるから、與水証言のうち、「被告車の後部が右にふれたため衝突した。」という部分は、不正確であることが明らかである。

(三)、右実況見分調書は、本件事故直後行われたものであるが、同調書記載の衝突地点は、被告車進行車線内でセンターラインのすぐ内側とされている。これは被告人の指示説明にもとづくものであるが、同調書の記載内容を全般に亘り精査しても、衝突地点が被告人の右指示と異り、塩入車の進行車線内であることを明らかに示すような証跡を窺い得ない。むしろ、同調書添付の、塩入車の停止・破損状況を示す写真によれば、同車は左前輪をほとんどセンターラインすれすれにして小諸方面(すなわち本来の進行方向とは逆方向)を向いて停止しており、その右前部の損傷が特に甚だしく、運転席の屋根もつぶれているのに対し、左側面の損傷程度は比較的軽いことが認められる。(事故後右写真撮影までの間に塩入車の位置が移動していないことは、実況見分実施者の証言するところであり、これと異なる與水証言は措信し難い。)これと前記被告車の損傷箇所とを対比すると、塩入車は前認定のように被告車の右側サイドバンパーに先ず接触してから右後輪に衝突して押し戻されあるいは引き摺れながらほぼ半回転して停止したものと考えられ、このような場合同車は被告車から離れたのちにも、はね返されるような形で更に若干右方(センターラインから離れる方向)に移動したものと推測することができる。そうすると、両車が接触をおわって離れるときの最終接触箇所―おそらくは塩入車の左前側面と被告車の右後輪外側面―が、塩入車の進行車線内にあったと見ることは困難である。それなら、衝突時においても被告車はセンターラインを越えていなかったか、仮に越えていたとしてもそう大巾にはみ出していなかったと見るのが当然であろう。そうでなく、塩入の方で回避することが困難なほどの大巾なはみ出しであれば正面衝突になることも考えられるが、むしろそのような場合は、被告人の方も急制動、急転把を試みるのが普通であろうから、衝突地点附近に被告車の制動痕が残るであろうし、五〇キロ毎時の速度で急転把すれば、被告車は路外にとび出してしまうことも考えられる。しかし衝突地点附近には被告車の制動痕はなく、被告車は衝突後割合おだやかに道路左端に寄って停車しているのである。また前記のような車両の損傷状況からみても、衝突時の車両の角度は浅かったものと認められる。このように、塩入車の停止状況に徴しても、被告車に大巾なはみ出しがあったとは考え難いのである。

なお、前記実況見分調書では、衝突地点は塩入車の停止地点よりも小諸寄りに記載されているが、これは逆であろう。塩入車は押し戻されたと與水証人も供述している。

(四)、また右実況見分調書には、被告車の停止位置に左前輪の制動痕があったことが認められ、検察官は、これを延長すると衝突地点附近においては、被告車がセンターラインを越えていたことが推認される旨主張する。しかし、被告人は衝突直前と直後にハンドルを操作したと供述しており、右供述の真否を疑うべき資料もないので、右制動痕を単純に延長することにより被告車の進路を認定することができるとは思われない。

(五)、散乱物の状況は、実況見分調書および宮本勉、前記與水の証言によっても、必ずしも遂一明らかではないが、実況見分調書によれば、センターラインの両側に存在していたことが明らかであり、被告進行車線側に比較的少なかったとしても、被告車の車体に遮られるための当然の結果であると考えられるから、これ亦衝突地点を確定する極め手とはならない。

(六)、ところで、前認定のとおり、本件現場の道路幅員は舗装部分のみでも片側三・九メートルであるから、被告車が多少はみ出して来たところで車幅一・三メートルの塩入車が左に寄って避譲する余地は充分あったわけで、塩入が正常な状態で運転していれば、当然そうした筈である。與水証言は被告車のはみ出し程度については変転があり、必ずしも明確ではないが、いずれにしても塩入車の方で避譲することが困難なほどの極端なはみ出しであったという趣旨は見られない。(なお(三)参照)ところが同証言によっても、塩入車の後続車は左に逃げたのに、塩入車は衝突前左に寄ったことはなく、急制動をした様子もないというのである。現場の道路は前述のとおり塩入車の方からみるとゆるやかな左カーブにかかるところであり、衝突地点はカーブがはじまって間もなくのところである。従って被告車がはみ出しをせず正常に進行していても、塩入車がカーブに沿ってハンドルを切らずに直進すれば、前認定のような態様の衝突が起り得る可能性がある。與水証言によれば、塩入車はセンターラインとの間隔を四〇ないし六〇センチ取って走行していたともいい、又、車線中央より一〇ないし二〇センチ右に寄っていたともいう―それならセンターラインとの間隔は一メートル以上あったことになる―のであるが、昭和四七年九月一四日実況見分調書の添付図面(立体写真から作図したもので、カーブの状況等も正確に縮尺されているものと考えられる。)の上の考察すると、塩入車が現場のカーブにかかる手前の直線部分ではセンターラインとの間隔約一メートルで直進していたと仮定しても、この進路を直線で延長すると、衝突地点附近ではセンターラインを越えることになる。以上の情況は、塩入車の方に何らかの原因(おそらくは脇見か居眼り)による運転操作の誤りがあったこと、そして仮に被告車のはみ出しの事実があったとしても、本件事故の主たる要因はそれよりもむしろ塩入車の方にあることを強く推測させるものである。

(七)、與水証人は塩入車の一台おいて後から追尾していたというのであるから、前方のカーブを進行してくる被告車のはみ出しの有無程度を正確に認識し得たかどうか、殊に被告車の車輪がセンターラインを越えているのを見たという点は、同証人が見たと力説するに拘らず、極めて疑問であることは、弁護人の指摘するとおりである。衝突地点は前認定のようにカーブ区間内なのであり、同証人からみてそれより更に遠方から左カーブを対向して来る被告車を見た場合その左(証人から見て)下部は先行車殊に塩入車に遮られて見えない筈であって、このことは前出九月一四日付実況見分調書の図面上で考察しても明らかである。むしろ同証人はカーブを対向してくる被告車の車体上部を先行車の屋根越しに見て、被告車がはみ出して来ると誤認した疑が濃厚である。

(八)、本件現場のカーブは極くゆるやかな右カーブなのであるから、このような場所を通行する場合、無意識に右にはみ出すことがそうしばしばあるとは思われないし、その他被告車の側に追越し、追抜き、道路の障害等、はみ出しを必要とするような事情があったことは全く窺えない。なお、言わでものことながら、被告人は本件事故時まで約七年間大型貨物の運転に従事している職業運転手であるが、事故、違反歴は少ないといってよく、平素それほど不注意な運転をしているとは思われない。

(九)、被告人は、捜査開始以来積極的に右側はみ出しの事実を認めたことは一度もない。被告人の検察官に対する供述調書、司法警察官に対する九月一一日付供述調書も、「自分としては、はみ出し進行した覚えはないが、有力な目撃者(與水)が、はみ出していたというなら、絶対に違うとまでは言えない。」という趣旨を出ないものと認められる。

四、以上のような証拠関係の下において、一部に明らかな誤認もある與水証言を採用し、これをほとんど唯一の証拠として被告車の右側はみ出しの事実を認定することは、甚だ危険であると考えざるを得ない。さらに附言すれば、既に述べた通り、本件事故の主たる原因は塩入車の方にある疑いが強いのであって、仮に被告車の方に多少のはみ出しがあったとしても、それが道路交通法違反となることは別として、本件事故と因果関係のある過失といえるかどうかについても多分に疑問なしとしないのである。

よって主文のとおり無罪の判決をする次第である。

(裁判官 藤井登葵夫)

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